2016年4月21日

骨髄バンク ドナー登録体験記

今日は、骨髄ドナーの手術をした日です。

もう、10年ほど前の話しになりますが・・・

熊本の震災では、多くの被災者が支援を待っています。

また、命を脅かす病気の中支援を待っている方もいます。

そのひとつに、骨髄のドナーで助かる多くの命があります。

今日は、その話で・・・

骨髄バンクのCMは皆様も見たことがあると思います。

しかし、CMだけだとドナーって何するんだろう?と思ってしまいますよね。

今回は私のドナー体験記をお話しさせていただきます・・・・

10年ほど前のある日、私は会社の上司と献血センターに骨髄バンクの登録に行きました。

登録は、簡単で数十分で終わります。

登録しても患者の「HLA型」に適合する確立は、非血縁者間で数百人~数万人に1人と低くなってしまうため、登録者は数十万人いても足りないそうです。

ですから、登録してもなかなか患者の方と適合するのは難しいとか・・・

ちなみに登録するとこんなカードがもらえます
骨髄

それから2ヵ月後・・・・

帰ってポストを見ると「骨髄移植推進財団」と書かれた大きい封筒が!

登録のお知らせかな・・・・と見てみると「適合通知」が

「はやっ」と思いつつ・・早速、返事をしコーディネート開始へ

まずは自分の担当のコーデネィーターさんと初顔合わせと健康診断

「酒びたりの自分で大丈夫かなあ」と心配しましたが、極めて健康でした(o^-‘)b

この時点では、ドナー候補者が複数人いることもありますので、ドナーに選ばれるかどうかも分かりません(^_^;)

しばらくすると、ドナー選定通知がΣ(゚д゚;)

ドナーに選ばれると身内の人間が同席し弁護士立会いの元、最終同意が行われます。

(この最終同意の後、断ると患者の生命にも影響するからです)

そして最終の健康診断(;´▽`A“

悪い結果が出ないように、食事や生活にも大変気を使ったせいもあって、見事クリア!

そしていよいよ入院へ

初めての入院(・_・;)

緊張しながら都内の慶應病院へ

着くと病院の説明や、入院中のスケジュール、健康診断を受け病室へ。

夜9時より絶食ということで、食いだめをし就寝へ・・・

いよいよ手術室へ

朝6時に起き、手術着に着替えに着替える(ふんどしみたいなものつける)

そしていよいよ手術室へ、手術室までは健康なので自分で歩いて行きます。

いよいよ手術台に

手術台には自分で上がります

なんか、自分で手術台に上がるのは微妙な感じです。

そして腕に痛い注射がさされたと思ったら意識が無くなってましたOo。。( ̄¬ ̄*)

次の瞬間・・・・

「Sさん、Sさん大丈夫ですか!大丈夫ですか・・・」

「あっ、手術終わったのか・・・・・」

「あご大丈夫ですか?」

と朦朧としている中でわけが分からない質問が・・・

「大丈夫ですよ・・・」と答えると医師が

「よかったあ、麻酔管挿入するときにあごが外れちゃったんですよう、痛くないですか」

「大丈夫です・・・・」と自分のあごが外れた姿を想像したら、恥ずかしいやらおかしいやら・・・

麻酔から意識が戻ると、担当医師から手術の結果の報告があり、順調に細胞が採取され骨にさした穴も百何箇所ですんだとのこと・・・

とりあえずは一安心

夜には排尿のカテーテルも無理を言って取ってもらい、翌日はやっと久しぶりの食事が出てきました。

決して美味しくない病院の食事がとっても美味しく感じられました。

腰は少々痛むものの、術後の調子もよく4日目の朝には退院へ

退院後は、多少痛みは残るものの普通に暮らせます。

そして手術から4ヶ月位たったある日、1通の手紙が・・・

外国語で書かれた手紙と骨髄移植推進財団で翻訳された手紙が・・・

そう、私は海外コーディネートだったのです。

そこには感謝の文章が・・・思わず涙が出てしまいました。

私が救ったのは、フランスへ養子で行った韓国人の2歳の男の子

ようやく、子どもがきた夫婦に襲った悲しい知らせの中、私の骨髄で救われたとのこと

自分が人の役にたったなんて・・・

あくまでも、今回の話しはドナー登録しろと言う話しではありません。

沢山の方が、沢山の支援をする中で、この様な支援もあるというお話です。

今すぐドナー登録、
とはいかないけれど

「知る」だけなら
敷居は高くないと思う

 

 


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